より麗しく、なお誇らしく。いのちある限り、輝いていてほしいから。
樹齢170年。御船山楽園名物「大藤」
棚の大きさは20メートル×20メートル。その一面を覆い尽くす1万以上の花房は長いもので1.5メートルにも達し、風に揺られ甘い香りを漂わせながら、上品な白と紫の花を咲かせます。春の御船山楽園を彩る名物の大藤、品種でいう野田藤の「九尺藤」は、例年4月下旬から5月上旬に見ごろを迎えます。可憐にして圧巻の容姿に、誰もが目を奪われることでしょう。
「大藤」を守る仕事人、樹医「宮原一雄」
しかし、その陰から優しくも鋭いまなざしを向ける、仕事人の存在に気づく人はいません。彼の名は宮原一雄さん。武雄市で造園関係の仕事を手がける宮原造園の代表、そして「樹医」という二つの顔を持つ、いわば緑のスーパードクター。深刻化する自然破壊に「緑が泣いている」と、10年前に樹医の資格を取得。のちに博士号も授かりました。樹医の仕事は、総合病院での診察と治療をたった一人で行うようなもの。木の幹や枝、根、葉、花といった患部を診る一方で、木の種類や立地、土質、日当り、風向きなどあらゆる与件を考慮。状況に応じて脳外科医や心臓外科医、循環器科医、漢方医となり、最適な処置を施さなくてはなりません。
樹医 宮原一雄 Miyahara Kazuo
専門家の目からみた御船山楽園は、御船山が北風の進入を遮り、また溜め池があるため水蒸気が湧きやすく、苔や害虫が発生しやすい立地ゆえ、「デリケートな藤に影響が出やすい環境」といいます。加えて、進行する老化と近年の温暖化、異常気象。それでも大藤は今日まで、変わらぬ美しい花を咲かせてきました。が、状態は予想以上に深刻でした。
「花が咲くから健康というわけではありません。人間と同じで高齢者ほど病気になりやすく、足腰も弱りやすい。最も傷んでいた幹は、老化や害虫の影響で空洞化し、『首の皮一枚』の状態でした」。季節を彩り続ける幾千万のいのち、より健やかに、たくましく。2008年 、宮原さんによる大藤の治療がはじまりました。
匠の業に導かれ、その生命力を見せつけながら、大藤は息を吹き返した。
目先ではなく、数年先を見据える仕事。
宮原さんが最初に取りかかったのは、幹の中で孵化を繰り返していた害虫の駆除。並行して、腐ったり枯れたりしていた部分をくり抜いたり削ったりして消毒し、栄養剤を注入。症状や患部によっては特殊配合の骨材を埋め込み、新しい樹皮組織の形成を促すようにしました。より充実した幹に育てるための処置も怠らりません。太めの枝や生きた花芽を残し、それらの形状や向きなどに注意して、枯れたり伸び過ぎたりしていた枝を切り落とします。傷がついた蔓も間引きしました。
「その後」を見守り続ける目。
「もったいない、かわいそうと言われることもありますが、下手をすればすべてがダメになってしまいます。目先ではなく一年先、あるいは数年先を見据えることが大切なのです」。
ひと通りの治療を施した後も、宮原さんの仕事は終わりません。術後の経過を見守る必要があるからです。特に、雨が多く降った後や強風の吹いた後、強い日差しが続いた後などを目安に何度も足を運んでは、その具合を直接確かめます。「人も木も、100パーセントの健康はあり得ないのです」。鼓動ある限り、という真摯な態度は、まさに医者と呼ぶにふさわしいと言えます。
そして一年後。手術を終えたその姿は一見、痛々しくも見えます。ですが患部の至るところから、次々と新しい生命の息吹を見て取れるようになりました。「自然の生命力は驚くほど強いです。皮一枚、根一本からでも再生します」。宮原さんの言葉どおり、ゆっくりと、しかし着実に快方に向かっています。
「木が元気でいてほしいし、見る人に喜んでほしい。私の願いは、ただそれだけです。これだけ歴史のある立派な大藤、そして御船山楽園には、いつまでも元気で長生きしてほしいですね」。
移りゆく時代を横目に、御船山楽園に変わらぬ春が降りてきます。陰の仕事人に導かれて、より瑞々しく力強く、ありったけの輝きを放ちながら、大藤が静かに花を咲かせようとしています。